秋葉原通り魔事件が起きてから、小泉政権の負の遺産や派遣労働者の格差問題と関連性があるといったコンテンツがメディアを賑わせている(当然個人のブログも含む)。しかし本当に関連性があるのだろうか?
この秋葉原通り魔事件、メディアのコンテンツネタとしては、非常におもしろい話題(不謹慎でスイマセン)であるとは思う。それほど衝撃的な事件であったことを物語っている。いつまでも記憶に残り、二度と同じような事件を繰り返してはいけないと、誰もが思うことだろう。
しかしそこに、もっともらしく小泉政権や派遣労働問題を関連付けるのは、いい加減やめてほしい。皆無だとは言わないけど、メディアで騒ぐほど大きな関連性があるとは、オイラはどうしても思えない。
確かに小泉政権が負の遺産を残したことは理解しているし、派遣労働者の格差問題が深刻であることも理解している。しかし小泉政権が当時したことは間違っていなかったと思うし、派遣労働者の格差問題が深刻ならば、それを解決すけばいいことなんじゃないか。たまたま犯罪者が「派遣労働者」であっただけで、コイツはおそらく、正社員であっても同じ過ちを犯していたのではないかと思うのはオイラだけだろうか?
みんな今の社会、今の政治に不満を持っているから、それを「政治が悪い」(これはオイラも思っている)といいたいところを、この事件に関連付けて遠まわしに言っているだけではないだろうか?そんなことしてても政治は変わらないよ。無駄なことだ。
話が逸れてしまいましたね。「自己責任」これを小泉政権が残した負の遺産だとするメディアが多くあります。でもオイラはこれを「偉大な資産」であると思っています。みなさんはそんなに競争を避けて、ぬくぬくとしていたいですか?そりゃ、楽なことに越したことはないですけど。
以前日本の従業員は「年功序列」に守られてきました。時が来れば、我慢していれば上に上がれる。そんな社会に生きていても何も楽しいことなんてないと思うけど。当時を懐かしんで、当時のような社会に戻りたいと回顧しているだけだよね。
成功を目指して前に進む。そのために多大なエネルギーを使う。それができなくて失敗する。その結果自己責任と切り捨てられる。何か間違ったこと、してますか?
「自己責任がイヤだ」といっていては、最初から試合放棄。逸れこそ自己責任で切り捨てられて当然のことですよね。試合に負けたら、また立ち上がって挑戦すればいいじゃない。何度だってやり直せばいいじゃない。それだけの話だよ。
なんか小泉政権を擁護する内容になっているけど(実際、結構擁護しているけど)、大切なのは、国民個人個人の心構えとでもいいますか。「自己責任の時代」を生き抜こうと思う気持ちの問題でしょう。実際にこの時代を生き抜いている人はいるんだよ。
秋葉原通り魔事件 小泉政権 自己責任
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